ノーマルハッカー's blog

ミニマリスト、お金との付き合い、人生哲学など<noteに引っ越しました>

批判するのは自分はそんなことないよの裏返し!?

批判するときは自分を誇示したいとき?

あいつダサイに隠れた俺はダサくない。

 

 こんにちは

 ノーマルハッカーのkaoです!

 

 今回は新しい自分を発見できる話です!

 

 無意識に批判をすることによって、自分はその逆ですごいという材料集めをしていませんか?

 

 例えば

 あいつはダサい(おれはダサくないから、こう言えるんだ)

 

 あいつは片付けもできないのか(おれは整理整頓できるし)

 

こう相手を批判できるのは、自分は出来ていると思っている部分の裏返しではないでしょうか?

 

 だからもしあいつ片付けできないダメなやつ、イライラすると思っていたとしましょう。

 これは、自分は片付けができるやつであるという前提が必要ではありませんか?

 自分のことを棚に上げていないと、自分もダメなやつになってしまうのではないですか?

 

 

 だから、もし人に対して何かネガティヴなことが頭に浮かんだら、もしかして、自分はそんなことないと思っている前提があるのではないかと考えて欲しいです。

 

 そしたらイライラを当たり散らすことなく、一度冷静になれます。

 そしたら、片付けなさいと怒ったりせずに、片付ける方法を教えて改善させられるかもしれません。

 そしたら、悪口を言って人を馬鹿にする人にならずに、自分のことを見つめれる高尚なオトナになれるかもしれません。

 

 今までは批判して終わりで生産性がないことを繰り返してましたが、これからは、批判したくなる理由を考えれるきっかけになるのではないだろうか?

 

以上、今回はここまで!

 

 個人的に思ったことがある批判とその裏に隠された未熟な自分の考え

 

・あいつまた散らかして、こんなに荷物広げて、私は何も置かずに綺麗にしてるわ(私は片付けできるやつ、さすがミニマリストな私というのエゴがありました、嫌な人〜声に出してなくてよかった〜だから、片付けたい人は人のものに手は出さないルール遵守すべきです)

 

・あいつの服装ダサい(私はもっと服選ぶセンスあるわ、自分に似合うのもわかる、自分可愛い)

 

 こんな極端な()まで無意識に思っていたかわかりませんが、少なからずそれに近いエゴはあったのではないでしょうか?

 自分は物静かな方で、批判は心の中で止まってますが、そのおかげか印象はいい人としてみられます笑

 ガンガン言ってたら、自分のこと棚に上げて人の悪いところ探すダサいやつに見られていたかもしれませんね笑(これも批判なので、自分はそんなやつではないことをさりげなくアピールしている)

 

なんか思考の無限ループに入りそうなので、程々にしてください!