ノーマルハッカー's blog

ミニマリスト、お金との付き合い、人生哲学など<noteに引っ越しました>

自分をさらけ出せなくて苦しいあなたへ

こんにちは、ノーマルハッカーのkaoです。

 

敏感すぎる

 

で本がたくさん見つかりました。

 

 

恥という感情

 

自分を曝け出せない苦しさ。

だから、いくらアーティストのように、なりたくてもブレーキがかかってた

 

やりたいことやりなさいのワークをやっても、

できた作品に対して恥ずかしい!

みられたくない!ってついつい隠してしまう

そんな臆病な自分にやっと気づけた。

 

自由人だと思っていたが、案外心の奥底では、人間に怯えているのかもしれない。

 

 

 

自己肯定感が低いというより、本当の自分を曝け出せない苦しさがずっとあったんだ!なんかブレイクスルーした感じ!

ブレイクスルーこういうかわからないけど笑

 

 

 

親に常に監視されているような息苦しさ、

恋人と同棲してても、そういう他者の目が気になって、絵を描いたりものを作ることが楽しめない!

 

カラオケでは楽しめるようになったけど、そんな数少ない大切な友人でも、出せる自分と出せない自分がいる。

 

とくにアート関連は出すのが苦しい。恥ずかしい。

 

 

少し違うかもしれないが、

繊細さん、敏感すぎる人、hsp

このようなキーワードで検索したら、これだ!と思いました。

 

すごく憂鬱な気分だけど、命を無くしたいとか思わない。だから、うつ病ではない、でもなんか無気力、疲れたと思う。

 

なんか答えをやっと見つけたというスッキリ感と、自分の昔からある一面にやっと気づけた出会いの喜びがある。

 

 

なんで自分こんなに恥ずかしがり屋なんだろう。克服にはどうすればいいんだろうと探してました。

 自分の作品を人に見せることにどうしてここまで過剰に反応するのだろうか。

 

 それは人より共感力が少し高いから、相手の負の表情をすこしオーバー気味に受け取ってしまうかもしれないから、

 傷つくくらいなら、隠してなかったことにしてしまえという気持ち

 

 恥ずかしいがり屋は大変です。けなされたら、落ち込みます。でも褒められても、なんか心が落ち着きません。

 日本は恥の文化で、恥は世間の目が基準になります。一方キリスト教などの文化圏では、罪の文化、つまり聖書に書いてあることが基準になります。

 

だから、日本はこれほど、他人軸のような生き方をする人が多いかもしれません。

 

 20%の人が繊細さんの気質を持ってるらしいです。5人に1人ですね、わりといるでしょ⁇

 パレートの法則というものがありまして、なんかこの数字感はなかなか不思議ですね。生き物の生存のためにはこの2割は黄金比かな?

 

 自分はちょっと人より繊細だったのかもしれない。でもその繊細さはいいも悪いもありません。ピーマン嫌い!みたいなものに過ぎません。

だから、繊細だから、もっと特別視する必要はないのです。繊細に適用するだけで快適になります。ピーマン嫌いなら、ピーマンのない料理を食べるだけで、なかなか楽で幸せじゃないですか?

 

 ちなみに人の家のピーマンの肉詰めは美味しいです(友人の家で食べた)。でも実家のは好きになれません。

 だから、繊細さも人との相性や場所の相性次第じゃないかな!

 

 だから常にピーマンを警戒している必要はないのです!それは疲れます!

 ちょっとした気遣いでいいのです。繊細すぎることを過剰視する必要はないのです。

ただ知ってると、いいだけ。

 

 知らないのは苦しいです。何が原因か分からないから。

 恋人がピーマン嫌いなのに、ピーマンの肉詰めばっかり出してたら、笑顔減ります。でもそれを知ってたら、ナスの肉詰めにしてあげようかなーと思えるようになるのです!

 

 

 

 せっかく、繊細さを感じ取れるならそれを生かすことを考えるのはどうでしょう⁇

 

 むしろ繊細さを強みにできないか?

 

 日本では、繊細さを成長過程で評価されることは少ないと思います。だから、もしかしたら、繊細さんは自己評価が低くなりがちかもしれません。

 

繊細さんの特徴は多分足が早いと一緒。背が高い低いと一緒。背は低くできないけど、それを活かすともっと魅力的よね!

だから特別視する必要はないけど、活かす方法は知っておいた方がいいよね!

 

 だから、すこし本を読んでお勉強してみようかな!ファッション雑誌をみて自分に合うスタイルを研究するようなものです!

 

 

 敏感すぎて、自分の作品を晒すのが怖いです。晒すという言葉感もなかなか、マイナスな攻撃的エネルギーをかんじますが…。感情の変化に敏感で、すごい人の作品の、すごいに気づけて、勝手に自分のと比べていたのかもしれません。そして勝手に落ち込んで否定の嵐に入ってました。

 でもすごいを気づけてるって自分にも、その才能の可能性があるわけです!多くの人は気付けすらしません。だからまだ未熟さは認めつつ、相手も認めて、受け入れる!それだけで大丈夫です。ごちゃごちゃ考えても、ごちゃごちゃ考えてるんだでいいんです!ごちゃごちゃ考えるのを否定する必要はないです。

 

 疲れたなと思っても、それは自分がだめではなく、情報処理に疲れてただけかもしれませんよ。

疲れてる時に引き篭れる秘密基地を作ってみませんか⁇

 

これからこの本を読んですこし研究してみます↓